4・『かみさま』の時間










「うー…もう、ダメ…」

ぐったりと机にうつ伏せ、私は折れそうな程握りしめていたシャーペンを手放した。
が、うつ伏せになった所為で、目の前にその忌まわしいモノが見える…。
そう。宿題である。数学の。

自慢じゃないが、私は勉強というものがからきし出来なかった。
やる気がないのが、一番いけないのだが…。
解ってはいるのだが…どうしてもこれを楽しめる程に頭が柔らかくない。
はぁ、と身を起こして溜息を吐く。
こんな時に賢い友人の一人や二人、居たらなぁ。
答え丸々写させて…とまではいかないものの、
せめて解らないところを教えてもらったりとか出来るのに。
私の以前住んでいた場所での友達は…まぁ、私とどんぐりの背比べ。といった所だし。
まさか泉君に言うわけにも行かないし。会ってばかりなのに、突然勉強教えて…は、ちょっと。
言い出しにくいというか、何と言うか。
そう。その泉君だが、あれ以来やたらとメールが来るようになった。
おはようメール、おやすみメール、その他諸々メール…。
彼は随分メールが好きなようだ。
今朝も8時頃にゴキゲンな顔文字一杯のメールが来ていた。
でも、突然呼び出すのはおろか、勉強教えてもらいに彼のお宅へ…というのも。
「やっぱりちょっと、なれなれしいかなぁ…」
うーん、とまたうつ伏せになり、無意味に回転椅子でぐるぐる廻っていると、
突然、何の前触れも無く私の部屋の窓が開いた。
そして真っ白の指先が窓枠に掛かり…

「竜胆。勉強は進んでいるか」

百である。
アレ以来彼もまた、よく会うことになった。
勿論私も…何だか初めてまともに男友達(?)が出来て嬉しいし、
毎日目の保養が出来ることは幸せなのだが…。

「…百。あんたのその登場の仕方、ちょっと何とかなんないの?」

そう。私が部屋にいるときは、毎度毎度こうして現れるのだ。
しかも、アレ以来彼は殆ど毎日この部屋に入り浸っている。
丁度私の部屋は庭に面しているので、彼にとっては非常に来易い。
一応此処は二階なのだが、空も飛ぶような彼のこと、多分軽くジャンプしただけで、
此処まで届くのだろう。
最初こそ驚いていたものの、今ではもうすっかり慣れっこだ。

「何を言うか。今日はお前が俺を呼んだだろう?」
よいしょ、と窓枠に腰掛けながら、彼がぶつぶつ呟く。
そう。実は今日は彼に頼みがあったのだ。
心の中で強く念じていたのは、やっぱり間違いではなかったようだ。
そう。彼は神様。
強く念じるまでも無く、誰が何処で自分を呼んでいるか、解ってしまうのである。
最近は私の思考だけはシャットダウンして読まないでいてくれているようだが、
強く念じていれば届くという。実に便利なテレパシー能力を持ち合わせているらしい。
どうやら二回目に会ったときも、私が庭弄りをしながら百を強く思っていたから、
彼は気を利かせて来てくれたらしい。

で。今日は私がまた彼を呼んだというのも…
「えへへ…あのさ神様、実はお願いがあるの」
彼に向かってわざとらしく拝むようにしながら、泉君の真似ではないが、上目遣いで頼んでみる。
彼はそれを胡散臭そうな瞳で見つめた後、気持ちが通じたように首を横に振った。
「何なりと申してみよ…などと言うはずがない。
大体この状況ならお前の心など、読むまでも無い。俺は勉強など手伝わぬ」
ぴしゃりと言い当てられて、私はうっと言葉につまり、項垂れる。
「うう…神様の意地悪…」
くるりと椅子を回して彼に背を向け、しくしくと泣きまね。
が、相変わらず神様は不機嫌そうにお説教。
「それを言う奴に限って努力を疎かにしている。神は四次元ポケットではないぞ。
いいか。神とはな、見守る者なのだ。実際に手を下すことなど、そうあるものではない」
放っておけば延々と続きそうなお説教に、私はひらひらと手を振ることでもういい、と示す。
「はぁい…解りましたよぅ。神様は万物に平等なのよねー」
けっ。神様の…ハゲ。ケチ。どケチ。
「何か言ったか」
「…何も」
慌てて机に向かう私を見て、百がそれでよいのだ、と大きく頷いた。

と、その時、部屋にゴキゲンに大岡越前のテーマソングが流れる。
はっとして机の上でブルブル鳴っている携帯を取り上げると、
ディスプレイには「泉 薫」との表示。
「泉君だ…どうしたのかな」
携帯を開いてメールを確認しようとしている私に、ぼそっと百の呟く声が聞こえる。
「…大岡越前か」
「うん。好きなの」
そう。私は非常に時代劇が好きだった。
小さい頃からの憧れは花房の旦那で、将来結婚するならば旦那じゃなきゃ嫌!!
とまで思う程。
なので、着メロは殆ど時代劇のものである。
「渋好みだな。それで、どうするのだ?」
出た。百サマお得意の意味不明の発言。
「…何のことよ」
「いいから、見てみろ。メェルを」
訝しく思いながらも、携帯のディスプレイを覗くと…
宿題を一緒にやらないかというお誘い。
彼もなかなか苦戦しているらしく、一緒にやれば少しでもはかるかもしれない、と。
「うわっやったー!!良かった、これでなんとかなる…!!」
願ってもいないお誘いだ。勿論やる!!返信しようとした私の横からにゅっと手が伸びてきて…
あっさりと、携帯が奪われてしまう。
犯人は言わずと知れた…
「ちょっと、何すんのよ!!」
「俺がうつ」
言いながら細く長い指で私の携帯をぽちぽちと軽快に操っている。
…う、悔しいけれど、こいつの方がうつの早い…。
じゃなくて
「えーい返せ!! それ私の携帯なんだから!
 それにどうせあんたなら、ロクなこと書いてないんでしょ」
びしぃっと指差しながら言ってみるものの、相手の反応は皆無。
黙ってぽちぽちとメールを打ち…終わったのか、携帯を投げてよこす。
慌てて受け取り、画面を見ると…既に「送信完了しました」の文字。
「一体何書いたのよ、あんたは…!」
急いで送信履歴を探し…あった。

「『ごめんね、今友達と一緒にお勉強会してるところなんだ。m(__)m
また今度誘ってね』…だとぉ…?!」

な…ぬわぁにが「お勉強会してるところなんだm(__)m」じゃ!!!
百とか名乗る怪しい奴のお説教なら聞かされていたが、お勉強会なんてもんはやってねぇ!!
「いいだろう?」
悔しさにぎりぎりと歯軋りしそうな勢いで百を睨むが、本人は至って面白そうだ。
しかも何処か得意げである。
曰く「どうだ、俺のメールさばきは完璧だろう。スピードキングと呼べ」的な。
「どっ…どこが!!つか、おま、何すんの!!この馬鹿!!この馬鹿!!ハゲ!!」
ヒステリックにきーきーと叫ぶ私を見て、奴は益々笑みを深める。
しかも
「お前は怒ると益々面白い顔になるから、止めた方がいいと思うが」
「おっ面白いだあ?五月蝿いっ!! 私は元々こういう顔なの!!」
遂に地団太踏みながら、益々私はヒートアップ。
私ってこんなに怒りっぽかっただろうか…いや、全てはこの意地悪な神様が悪いのだ。
更に奴は逆なでするようにニヤニヤと人の顔を眺めて、優雅に足なんぞ組んでいやがる。
「そうか。それではもう手の施しようがない。人間やめるか?」
「やめてたまるかボケェ!! 大体あんたね…!!」

と、その時突然部屋のドアが開く

「なーに竜胆、一人で大騒ぎして…」

続く暢気な声に、げ、と一瞬にして私は凍りつく。

そう。居間には母が居たのだ。
今まではいつも百が来るときには、母は必ず何処かへ出かけていた為、
こうして騒いでいても何とも無かったのだが…。
さっきの騒ぎが、この狭い家の中で聞こえていないはずは、ない。

首がぎしぎしと油の切れた機械のようにぎこちなく、ゆっくりと、ドアへと向けられる。
すると矢張り其処には、いつも能天気な、母の姿。
母はぱちくりと瞬きをして、私の後ろへすっと視線を移す。
あ、やっぱりそうなる?やっぱりまだ居たりする?
神様なんだから、一応消えたりとか、そういう気遣いは…

「邪魔している」

ああ…!!!! やっぱりまだ居る…!!!!
しかも堂々と挨拶してる…!!! それでいいのか神様…!!!

「あらいらっしゃい。ごめんなさい、私ったら気付かなかったわ
 …どうして言ってくれないのよ、竜胆。今お茶を持って来るから」

ぱたぱたぱた…
母の足音が遠ざかり、私は冷や汗をかいたまま、百へと向き直る。
母よ。そりゃ気付かないだろう。
何てたってこの神様、ついさっき窓から侵入してきたんですから。
そして母よ。もっと疑え。
まぁ…それはともかくとして…

「…百サマ」

「何だ」

本人は飄々と、何て顔してんだお前、という顔でこちらを見ている。
泉君のときもそうだったが…この神様、これでいいんだろうか。

「そ、そうじゃなくてぇ…一応あんたも神様なんでしょ?
その…あんまり人目につくと良くなさそうじゃない?」
そんな格好してるし。と付け足すと、彼はふんと鼻で笑って、そんなことか。と呟く。
まぁ…私も何かよく解らない経緯でこんな仲良くなっちゃったワケだけど。
神様なんてのは、普通見えないものなんじゃないのかなぁ…。
「別に問題は無いだろう。大体俺のことが見える人間というのは、限られている」
それは初耳だ。
「人間の言う霊的なものというのは、相性によって左右されているのだ。
万物には全て霊的な力は携わっている。が、相性がいい者には、時々我々の姿や、
我々の使役するモノが見えることがある。逆に相性の悪いものには、全く何も見えないのだ。
俺達のような存在には、見えるモノと見えないモノの区別が見分けられる。
だから俺はお前の前に姿を取って現れているではないか」

そうか。つまり私や泉君、それに母なんかは霊的なものと相性がいいというわけだ。
そしてその相性の良し悪しは、神様もちゃんとわかってる。
…てことよね。多分。
でも、やっぱりそれでも、姿を安易に見せるのはどうかと思うけど…。
「まぁ見られても、神だと悟られなければいいだけだ。
人間界で普通に暮らす神も居るくらいだしな」
ほ、本当ですか百兄さん。
確かに説得力はあるけど…神様ってそんな身近だったのね。ああ勘違い。
「…てっきり私は、神様ってのは雲の上に住んでるんだと思ってたわ…」
そう。まるっきり子どもの思い描く神様かもしれないが、私はそう思っていた。
「まぁ空の神は空に居るだろう。会ったことはないが」
何か近所に有名人に住んでるんだけど〜、みたいに話すなぁ…。
でもそういうことじゃなくて…ああもういいや。
理想と現実のギャップにぐるぐるしている私に構わず、百は一人にやにやと私を見ている。
「お前が悩むことではないぞ。竜胆。全ては在るがままに在り、また神はある意味で無いのだよ」
無という有なのさ。
とは言われても…私の自慢のお頭は、もう既に理解しようとすらしていないのか、
どうでもいい。という文字だけが明滅している。

そして私は決して忘れてはいない。
「…ところでさ、あんた、落とし前、どうつけてくれんの」
「落とし前?」
何のことやら、とすっとぼける彼は、実はばっちりわかっているのだろう。
「…折角泉君に教えてもらえそうだったのに!ご丁寧に断って頂きましたから?
 ちゃんと…ちゃんと百が、教えて下さい」
馬鹿にしてるのか、下手に出ているのか、自分でもよく解らない。
が、泉君はまた今度一緒にやるとしても…
今日の落とし前は、こいつにきっちり取って貰わなければ。
「ふむ…神が人間の勉強を見るか。なかなか面白そうだな」
「…そうだね。よく考えてみりゃ、面白いね」
うふふと顔を見合わせて笑った後、座っていた窓枠からひょいと降り立ち、
百が私の宿題を覗き込む。
そしてざっと問題を見ただけで、彼には理解できるのだろう。しきりに頷いている。
「…お前、こんなものも出来ないのか」
「…すんません」
項垂れた私に、百は何処から出したのか、
葉っぱの付いた長い草の茎を持って宿題をぴしりと打った。まるで教鞭だ。
「いいかお前。この世は秩序なのだ。それに従えば、こんなモノ問題にすらならぬ」
と、言われましても、ねぇ…。
「いいか。数字というものはな、データ化された自然なのだ」
すいません。言ってることがまるで解りません。
「つまり、これは万物の一つの側面なのだ。解るか」
眠くなってきました。
「………百さん」
きっと青ざめた顔をしているのだろう私を見て、百は一度僅かに目を見開いた後、
珍しく大きな溜息を吐いた。
「…もちっと具体的な方法を、示しちゃくれないもんでしょうか…」
「………いいだろう」
いかにも仕方ねぇな、という風に彼が頷く。

と、その時。
私たちの背後で部屋のドアがノックされ、開く音がして振り返ると、すっかり忘れていた母が。
「お茶を持ってきましたよー。あら、お勉強見てくださっているの?すみませんねぇ。
うちの子ったら本当にお馬鹿なのよ。大変でしょうけど…よろしくお願いしますね」
ほほほ、と百に向かって茶目っ気たっぷりに笑ってみせる。
ああ。母よ。肝心なことを忘れていないか。お馬鹿な私を産んでくれたのは貴女ですよ。
いかにも私がそういう目で見ていたのだろう、母がことりと首を傾げている。
「…ありがと。でもお馬鹿は余計よ」
「いやねぇ、事実を言っただけじゃないの、ねぇ?」
何も知らないで暢気に神様に同意求めてるし。
「全くその通りで」
同意してるし!!!
「あ、じゃあお母さんそろそろお友達の家にお邪魔してくるわ。
今日はお夕飯もご馳走になってくるから、適当にお願いね♪
お父さんも今日は遅いから、ちゃんと自分で作るのよ?」
じゃあね〜ん♪と一気にしかも一方的に喋った後、ゴキゲンに部屋から去ってゆく。

「…はぁ」
母よ。貴方が馬鹿で良かったと思ったのは、初めてだよ…夕飯、何にしよう…。
安心したのか、何なのか。少し複雑な気分だ。
ぐったりしている私を見て、何を勘違いしたのか
「何だお前。料理すらまともに出来ないのか」
「…そういう意味じゃないの。もう…」
何か疲れたよ。
宿題もばっちり残ってるし、と溜息を一つ零すと、彼も思い出したように問題を覗く。
「とりあえずこれを片付けてやるか…竜胆、俺の力を見せてやろう」
ふふん、とまた得意げ。
神の力をナメるな。とばかりに腕を組み、徐に教鞭もどきで私の頭を撫でた。
「お前のこの頭を、人類レベルに引き上げてやろうではないか」





*******





要するに、彼は非常に…その、秩序とやらを理解しているのだろうか。
何だかよく解らない説明で、学校では決して教えてくれないような方法で…
何と…
何と…!!
出された宿題の全てが出来てしまったのだ…!!!!
全てにばっちり答えの書かれた宿題を見て、私はうっとりと息を吐いた。
「凄い…こんな…私って、凄い」
恍惚とする私の頭に、すっかり慣れてしまったぺしっという音と、軽い感触。
百の持ってる教鞭もどきの植物だ。
「何を馬鹿な。殆ど俺の力だろうが」
「えへへ…有難うね、百サマ」
そうなのだ、彼は数学なんてものを全く知らないくせに、彼の言う「秩序」を武器に、
全てを容易く解いてしまう。
彼曰く
「数字なんてものは、全てを形作るある種の側面なのだ。万物は数値なく成り立たぬ。
つまりお前やこの場所は数値の塊なのさ。全てはなるがままに計算されたモノだ。
神たる俺が、それを視得なくて如何するのだ。
生成され消滅する。それはつまり、その数値が形を変えることに値する」
つまりそれが私たちの使う数学のこと、なんだそうだ。
ちなみに私は、全く言っている意味が、解りません。
それに多分、人間ならあんまりわからなくてもいい気がするけど…。
正直にそう伝えてみると、「お前は案外賢いかもしれぬ」だそうな…。
益々意味が解らん。

兎にも角にも終わったものは終わった。
これでこの休み中、思い切り羽が伸ばせるというものだ。
それもこれも、彼のお陰である。
「ふぅ、本当にありがとね。百」
緩んだ顔が元に戻らない。
…だらしないということじゃなく、それだけ嬉しくて。だのに
「だらしない顔だな。女子ならもっとしっかりしてはどうなのだ」
すいませんでしたね。だらしなくて。
まぁそれはこの際だからいいとしよう。いや、いいとしてあげよう!
「…さて。じゃあどうしようかな。何かお礼しなくちゃね」
と百に向き直ってみると、彼はだるそうに私のベッドに腰掛けている。
出来の悪い生徒を教えて、逆にこっちが疲れたわ。なんて、顔に書いてある。
「お礼か…」
「そういや、神様にお礼するときって何すればいいのかしら…。
 お供え物でもしてあげようか?」
菊とかお線香とか。
にやにやしながら私が言えば、馬鹿めが。という呟き。
「しかし…俺も人間と実体で付き合うのは初めてだな。
 だから勿論礼などしてもらったことがない…」
彼まで悩む。此処で普通の子だったら、じゃあ私が夕飯作るから食べていきなよ〜とか。
そういうノリになるんだけど…。
あ、そういえば
「ねぇ…百って食事するの?」
「食事?ああ、あれのことか。口にモノを詰め込み消化する…」
味気ない言い方だが…。きっと神様から見れば、そんなもんなんだろうなぁ。
ん?てことは、やっぱり食事しないのかな??
「俺達はただの魂ゆえ、そういうものはしない。
俺とて、元々はただの木々であったり、大地であったり、また大気だからな。
現実の実体があった頃は、養分を吸い上げることが、唯一食事らしいことだったな」
意味が解らない。
「…で、食事はするの?しないの?」
「ふむ…してみるのも面白そうだ」
百は何を想像しているのか、くっと喉で笑った。
結局してみることにしたのか、その日はお礼ということで…
とは言っても原因が彼自身なので、本来ならお礼も何も無い気がするが、
とにかく私が夕飯をご馳走することになった。



*******




テーブルに並べた料理を一通り並べ終わり、眺めてみる。
よくよく考えてみれば、家族以外の人に手料理を食べて貰うのは初めてだ。
…しかも、相手も食事が初体験(しかも神様)ときている。

(それってちょっとプレッシャー…よね)

うーん。ともう一度見渡して…とりあえず、最善は尽くした…
というより、元々料理のレパートリーは少ない方だろうし、
其処まで料理に関心がったわけではないので、どうしようもないのだが。

百は料理が出来るまで、私の部屋で待っている。
ついさっき様子を見に行ったときには、
本棚にあった少女マンガを読み漁っている所だった。とことん物好きのようだ。
さて。と私は一応見につけていたエプロンを外し、椅子の背もたれに掛けておく。
「百〜。そろそろご飯できるよ〜」
階段の下から呼びかけると、部屋から出てきた百がひょっこりと顔を出す。
「…うむ」
何となく、煮え切らない顔をしている。
「? どうかしたの?」
「いや、今丁度超変態怪人サイトゥーがブルマイエローに水虫を告白したところだった。
…成り行きが気になってな」
この意味不明なキャラは、私の大好きな超マイナーギャグ漫画のことだ。
よりによってあれを選ぶとは…さすが神様、お目が高い。
「結局あの後ブルマレッドが乱入して、サイトゥーの想いは届かないんだよ」
勿論続きは熟知している私は、そのシーンを思い出しながらキッチンに戻る。
背後で百が大真面目に息を呑む気配がした。
「何?! それは本当か?!…くそっ、ネタバレはやめよ」
「何か気分的にはあんたに言われたくはないかなー」
だって神様って何でも知ってるっぽいじゃない。
言いながら百を席に促し、私は一度キッチンに戻って、ご飯をよそう。
どのくらい食べるのかは解らないが…まぁ普通という程度で。
「はい。じゃあ食べようか」
お茶碗を渡して、席に着く。

そしてふと気付くが…彼が私の家の居間に、普通に座っている。
何か違和感とまでは行かないが…不思議な感じ。
だが私のそんな想いなど知るはずも無く、
百は物珍しそうに私の料理を見ていたが…徐に箸を取る。どうやら箸は使えるようだ。
割に上手に箸を使いながら、まずは肉じゃがを取る。
こうして見ていると何だか…ちょっと緊張するのは何故だろう。
口に入れてもぐもぐしている百を、失礼かなとは思いつつも、まじまじと見てしまう。
「…ど、どう?おいしい?」
自分が食べるのも忘れ、じっと見ていた所為だろう。ふっとこちらを見た百が笑う
「何をそんなに硬くなっている。お前も食べればいいだろう」
「あ、うん」
そこで漸く私も箸をもち、一度手を合わせてから「いただきます」と言った後、
キンピラに手を出す。
が、今度はその一部始終を百が見ている。
向かい合わせに座っているから、いちいち視線が突き刺さる。
「…何よ?」
「お前の今食べたもの…それは何だ」
彼が大真面目に聞くものだから思わず笑って、むせそうになる。
「きんぴらよ。きんぴらごぼう」
簡単な説明をすると、彼はまた箸を伸ばす。
そんな神妙な顔しなくても…という風に咀嚼している彼を見て、

何だかこれでは夫婦のようだと、ふと思った。

しかし…

(なっ…何考えてんのよ、私!! 相手は神様なのよ? 冷静になんなさいよ!!)

けれど一度思ったことは、なかなか頭から離れてくれない。
更に
「うむ。竜胆。これは実に美味だ。お前もやれば出来るのだな」
よくやった。と。何だかとても美しい笑顔が広がる。
元々が綺麗だから、当然といえば当然だが…この彼にしてみれば、随分と無垢な笑顔だ。
会ったときから見ていたのは、人を馬鹿にしたような、食えない笑顔ばかりだったし。
しかも。何だか自分よりも酷く目上の人に褒められているようだ。
神様の貫禄ってものなのかな、と少し首を傾げる。
でも神様に貫禄も何も無いか…。
そして、素朴な疑問はつと口をついて滑り出た。

「ねぇ百…神様って、どのくらい生きてるの?」

私がそれを言った途端、すぅっと百の顔から表情が消える。
狐のように吊りあがった綺麗な漆黒が、不思議な輝きを灯して私を見つめる。
急に、百が解らなくなったような感覚。
そこで私は思い出す。そう。彼は…神なのに。
こうして仲良くなっても、普通の友達どおりというわけには行かないのだ。絶対に。
でも何がどうして、百の琴線に触れたのだろう。
聞いちゃいけないことだったのかな…?
そして一気に静まり返った空気を破いたのは、百の不思議な声で。

「人間よ。お前がそれを問うならば、俺は逆にそれをお前に問うよ」

どういうことなんだろう。解りたいけど、やっぱり私には解らなかった。
それに。どうして名前で呼んでくれないんだろう。
人間。というもの言葉で呼ばれるのは、少し冷たい。
私にとって百は面白くて大切な友人になってしまったけど、百のような…

…神にとって、きっと私なんて、取るに足らない人間の、一人で。

そういえば、こんな空気になって、こんな風に百が言うのも、初めて聞いた。
いつもふざけてばっかりで、百が神だということも忘れていたのかもしれない。

「…あの、ごめん、怒った…?」

少しだけ恐くなった。

何だか、百が………。

言った私に言葉に、百は静かに瞬きしただけだった。
そしてまた徐に箸を使って、おかずをつまむ。何事もなかったかのように。
少しだけほっとして、私も彼に合わせて、ご飯を再開する。
「料理とは、なかなかいいものだな」
ご飯をもくもくと食べながら、百が呟く。
「そ、そう…?」
何となく居心地悪くて、目を合わせられない。
何がこんなにぎこちなくなってしまったのか、わからない。
ただいつもみたいに、冷静なくせに面白いことが大好きな百が、帰ってきて欲しかった。
でもきっと、その百を追いやってしまったのも、私なんだ。
何がいけなかったんだろう。こういうとき、自分の馬鹿さ加減を呪いたくなる。
「竜胆」
あ。名前で呼んでくれた。
何?と顔を上げると、彼は比較的穏やかな表情で、私をじっと直視していた。
そして、箸を止めたままの彼が、私を通り越した何かを見るような遠い目で呟く。

「お前はいい嫁になるかもしれぬな」

どきりと、大きく鼓動がはねる。
嬉しいのか、ぎくっとしたのか、それとも何なのかもよく解らず下を向く。
言われた言葉は嬉しいはずなのに、少し恐ろしかったし、少し…寂しい。
それが何処から起因しているのかも、わからないが。
きっと彼の遠い目の所為だ。


だって彼は、多分私が思うよりも永い『永遠』に生きているのだから。






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