私、佐野竜胆は現在とても深刻な悩みを抱えております。










*その全てを*








例えば、朝登校してきて、下駄箱にて。

「あ、佐藤、さん、おはよう」

多分、いや確実に、名前は合ってるはずだ。
だって彼女が今下駄箱から出した上履きには、「さとう」と大きく書いてあったから。
黒目がちな大きな瞳を一瞬驚きに見開いた後、彼女はちょっと戸惑ったように私を見て…
ふいと顔を背けた。
そして慌てたように上履きをつっかけて、そのまま行ってしまった。
呆然とする私を他所に、後ろに居た百と泉君は、同時にフンと鼻を鳴らす。

そしてまた別の場所では…

「あ、ねぇねぇ次の授業の課題って、今日提出だよね?」
目の前に座る女の子にそっとそう耳打ちしてみても…彼女は一瞬こちらを振り返り…
やっぱり戸惑ったように小さく曖昧に頷いて、すぐにまた前を向いてしまう。
その時も私の横に居る百は、小さく何か呟いてそっぽを向いた。

そしてまたまた教室内では…

じっと。視線を感じる。複数名の。
授業中も、休み時間の最中も。
こっちがその視線に気付いて顔を向ければ、一斉に止む。




*******




「おかしいと思わない?…え、もしかして、私の顔がおかしいの?!
もしかしてひょっとこみたい?!ひょっとこの化身?!」
うおおお。それはいやだなぁオイ!!!
一人絶叫する私を…一人は面白そうに、一人は気まずそうに、一人はうんざりとしながら見てる。

「大体…それを何故、此処で話すのですか、アナタは」

こめかみに青筋を立ててきっと私を睨むのは…天海先輩。
今私達は放課後の静かな図書室に陣取って話をしている。
泉君と私は図書室の机に腰掛け、その机に備え付けの椅子に、先輩と百が。
『だらしないのでやめなさい』と言わんばかりの先輩の視線は、この際割愛致します。

不満げに呟いた先輩が、ぎろんと私を上目遣いで睨む。
だって。ねぇ。皆が居る前じゃ話せないし。此処が一番静かで落ち着くし。
先輩に相談したら、何か一番マトモなこと言ってくれそうだし。
「いいじゃないですか先輩。大体ですよ、可愛い後輩が皆に嫌われてるかもしれないってのに、
どうしてそう落ち着いてられるんですか?!」
ぶー。と文句を言えば、今度は言い返すことも面倒、と言わんばかりに溜息を吐いて顔を逸らす。
それを尻目に、百がくっと喉を鳴らした。
「…まぁ、確かにお前はひょっとこのようだな」
またこの神様は、余計なことを。
「だあああっ!!!黙っててよ!!たった今自覚したばっかりなんだから!!
私は今、生まれたての小鹿なのよ!!」
ガクガクしながらやっと立ってんのよ。
…じゃなくて。


最近になって気付いたのだが…どうにも私は皆に避けられてるらしい、のだ。
特に女の子を中心に。
特別何かをした覚えも無いのに…私が話し掛けると、ある人は私を睨み、
ある人は戸惑いがちに視線を逸らす、てな感じに。
…うーん、やっぱひょっとこ説採用?
だってひょっとこの化身が突然「おはようにゃあv」とか言ったら絶対引くし。
…いや、萌えキャラぶったつもりは無いけどね。もののたとえとして、ね。

「…多分なんだけど…佐野さんが、百と親しいからじゃないの?」
泉君が何か考えながら、小さく呟いた。
珍しく(と言ったら失礼だが)、泉君が真剣に何か考えを廻らせているようだ。
なるほど、と言うように先輩も頷いている。
「え?でも百と親しいと、どうして私が避けられるの?」
話が見えない私に、泉君がうーん、と言葉を選ぶように視線を彷徨わせる。
「ほら、百って顔だけはまぁいいじゃない?だから女の子にも人気があるじゃん。
だからさ、それを妬んでってことだよ」
ね?と言われて、確かにちょっと納得。
ありそうな話である。
百が知らない女の子に話しかけられてるのも見慣れてるし。
何を話しているのかは知らないけど。

そうかぁ。なんて納得しながら徐に百を見ていると、
奴はいつもどおりに、ニヒルな笑みを浮かべる。
図書室の机に腰掛けて足をぶらぶらさせる私を、それはもう楽しそうに見てる。
毎度おなじみで、多分面白がってるんだろう。これだから神様ってヤツは。
「だとしたら…如何する、竜胆」
「…どうするったって…ねぇ、どうしようか」
あーあ。と呟いた私の横に居た泉君が、そこで突然指をびしっと百に突きつけた。
「だからっ!俺は思うんだけどね!!」
おお。どうしたんだ泉君。何をそんな意気込んでるんだ。
目の前に座ってる天海先輩が、うんざりしたように溜息を吐いてるし。
「百と別れればいいじゃんっ!?いや別れるべきっ!!
そうすれば、佐野さんだって避けられなくなるよ?ねぇ先輩っ!」
突然話を振られた先輩は、胡乱げに私と百を交互に見やる。
組んだ腕を居心地悪そうにずらしながら、眼鏡のブリッジを上げる。
「…まぁ…確かに、それもそうですが…」
「それもそう、じゃないっ!!そうなの!!」
バタンと音を立てて机から降り立ち、泉君が拳を握り締める。
何か言いかけた先輩の言葉は見事に遮られ、仁王の如く泉君が私の前に立ちはだかる。
…どうしてだろう、泉君の背後に炎が見える気がする。

何もそこまでしなくともいい気がしないでもないけど……百と別れる、かあ。
考えられない…というか、流石にそれは出来ない…。
私にしては結構頑張って恋人になってもらったし。ね。
何と言えばいいのか…というか、それ以外に方法が無いかなぁ…と考え込む私の横で、
百が徐に切り出す。

「それは出来ない相談だ…こいつを手放すつもりは無いんでな」

さらっと恥ずかしいことを言いやがった百様は、挑戦的な笑みで泉君を見てる。
勿論、私はその横で真っ赤になって言葉を失うわけですが。
対して、泉君はぴくぴくと頬の筋肉を引き攣らせていたかと思えば、
今度はわしゃわしゃと髪をかき回している。
「むあ〜〜〜っ!!!黙れこの腐れお面がああああっ!!!!」
お面。確かにそうだ。奴はお面だ。
けど…泉君、百のことになるとキャラ変わるよねぇ…。
キーキー言いながらのた打ち回る泉君を尻目に、先輩が一つコホンとせきを一つ。
「…大体、時期尚早では無いでしょうか」
「まぁ、もっともだな」
あ、ちゃっかり百もインテリぶって(?)乗ってやがる。
ヨシ。此処はインテリっぽく私も乗るべやー。
「全くですなー。じきしょうしょうで」
言った後、百が明らかに笑いを堪えている顔で私を見てる。
先輩も先輩で、頭痛でもするのか、額を指で押さえてるし…。
「違うな。時期尚早、だ。じきしょうそう」
おおっといけねぇ。間違えてた。
「じきしょーそー…じき、そうしょう、おおっ!!言えた!!
シャア少佐、さぁ注射…シャア少佐が車窓から車掌を射撃した…おおお!!!」
今まで「ちゃあしょうしゃ」としか言えなかったのに、言えるようになってるよー!!
凄いな、一つが出来ると、他も出来るようになるのかな??
感動しながらニヤニヤしていると、百も同じくにやりと笑みを返す。
やったぜ、相棒。これで無敵だ。
私達は固い握手を交わした。
方や先輩は先輩で、なんとも言えない…哀れむような一瞥をくれた後、また額を押さえてるし。
「…とにかく、もう少し様子を見てみなさい」
そうですねー。と暢気に頷いた私達は、その日はとりあえず解散した。
ゴロゴロのたうちまわる泉君を放ったまま…。




******





「ぬあんじゃいこりゃああああ!!」

下駄箱で絶叫した私の横で、泉君と百が小さく息を吐いたのが聞こえた。


佐野竜胆、と小さく書かれたテープが貼ってある下駄箱の中には、勿論上履きが入っている。
それはいい。
問題はその上履きの中。
…何でこんな素晴らしい物が入ってるのよ。画鋲じゃないの。
そして几帳面なことに全部上向きじゃないの。
素敵だ、全くもって画鋲だらけだ。

流石に溜息を禁じえない。これってアレよね。立派な嫌がらせってやつよね。
振り返った私に、泉君が苦笑いを返してくれた。
「…陰湿だね。佐野さん、俺探り入れようか?」
それとなくだけど。
そうだなぁ、と考え込む私の傍で百がふんぞり返って口角をあげた。

「ぬるいな。竜胆、俺なら直ぐに消してやれるが?」

何処まで本気なのかは分らないが、何か獰猛な色を滲ませた瞳の百が、
次の授業代返してやろうかくらいの、軽ーいノリで笑う。
「あ、ズルイ!!佐野さん、俺だってそんくらい造作も無いからね!!」
が、泉君も泉君で、一瞬だけ瞳を金色を煌かせながら力説。
「ふん、嗅覚のみが頼りの貴様とは格が違うぞ?」
「馬鹿言うな。俺だって引き裂くだけが能じゃない!」
「ほお、随分と偉そうなことを言うようになったのだな。ならば俺は…」

どんなやり方(殺り方)をするのかとぎゃんぎゃん言い始めた二人を尻目に、
画鋲をせっせと追い出す。
が、放っといたら学校だってことも忘れて何か妙なことをやりかねないので、
「…あんたら馬鹿じゃないの。殺んなくていーの。
此処は学校なのよ?あんあたらが干渉してどーすんのよ」
大体子どもの喧嘩に大人が関わっちゃいけないんだから。
胡乱げに2人を見やれば、一人は眉を顰めて、一人は頬を膨らませてむくれる。

…はあ、むくれたいのはこっちなんだけどなぁ。
苦笑して、最後の画鋲を弾く。
でもその気持ちは凄く嬉しいなんて言ったら、多分調子に乗るから言わないけど。

まぁ。暫く様子見るって言ったばっかりだし。
この程度ならいつかは終わるだろうし、放っとこうかなぁ。
…この2人に何かさせたら、学校が半壊しそう。いや寧ろ倒壊?崩壊?
とりあえず絶対に心配させちゃいかんね。
百も私には…ちょっと、言うのも恥ずかしいけど、過保護なとこあるし。
…まぁ、泉君は言わずもがな、である。

「ほら、いつまでむくれてんの。行くよ」

まだ何か言いたそうな二人を引きずって、教室に向かった。
その間も、廊下のあちこちから妙な視線が集まっているように思うんだけど…。
嗚呼。一体どうすべきなんだか。
とりあえず目立ったことはやめなきゃなぁ…。


なんて思ってた矢先。


教室の前に着いてドアを開けた途端、何だか凄く目を引くものがあった。
花瓶、である。
そりゃ教室に花瓶があるくらいじゃ全く驚かないが、場所が問題である。
生徒の使う机の上に。
窓側の、一番後ろの席。

そこは、私の席。

流石に驚いて固まる私の後ろで、今度は二重音声の舌打ちが聞こえた。
何だか苦笑い通り越して呆れてきたぞ。
思わず溜息。嗚呼。私はそんなにひょっとこかあ…。
私達三人が入ってきたことに気付いた生徒が、ある場所では気まずそうに、
またある場所ではこそこそ笑ってる気配がした。
いい加減何か言った方がいいのかなぁ…。

と、入り口に固まったままだった私を押しのけるように、泉君が出てきた。

「あ!!あれって佐野さんの席じゃない?
も〜やんなっちゃうねぇ!こんな酷いことするの誰だろう?」

言いながら泉君が花瓶をさっと取り上げて、さりげなく教室の後ろの棚に置いた。
妙に教室の空気が静かで、皆がこちらを伺っている気配が感じ取れる。
「どうせなら百のとこに置けばいいのにね〜」
「いや、それはそれでどうかと…」
そんな命知らずな…。
呆れながら突っ込むと、私の机に腰掛けた泉君がん、と笑い掛ける。
百も百ですっかり自分の席…とは言っても私の隣だけど…に座って、
何となく周囲を見渡して。
「だがなぁ、俺のモノにちょっかいを出すとなると、相当の命知らずだと言えるではないか」
「ちょ、百…」
そんな、聞こえるように言わないで、と焦る私を尻目に、泉君も暢気にそうだねぇなんて言ってる。
「何にせよ、気にしないほうがいいよ、佐野さん。どうせ暇な人が置いたんだよ」
朝から元気だよねー。
まったくです。本当に。言葉じゃなくて目線で訴えると、彼もひとつ頷く。

「そういえば、竜胆…お前昨日出された課題は、終わらせたのか?」

あ。

グッジョブ神様。すっかり忘れてた。
そうそう。今はこんな低レベルなこと気にしてる場合じゃないんだった。
「やばい!忘れてた!!ひー、ちょっと手伝ってもらっちゃダメ?」
「いいよいいよ〜♪って、俺の回答が合ってればの話だけど」
言いながら鞄から課題を取り出す泉君を見て、
遠巻きにこちらを眺めてた面々も、少しずつ各々の会話に戻ったようだ。
いつも通りの賑わいを取り戻す朝の教室。
それにちょっとほっとしながら、私もファイルから課題を出す。

「…やっぱ、探り入れよう」
ぼそりと呟く泉君に、珍しく同意を示すように百が頷いた。
「それがいいな」
それとなく周囲に目を向けつつ、百も教科書とノートを出す。
「…さっきのこと?いいよ別に、放っておけばいんだから」
言った私の言葉など既に無視して、百と泉君はそれぞれ
化け物じみた表情でにたりと笑うだけだった。





****************





とりあえずその日は、授業終了までは何も起きなかった。
まぁ、その日の内に私をどうこうしようっていうのも性急過ぎるからなぁ、なんて
思っていたわけだが。

放課後に、私はまた図書室に行く用事があって、人影もまばらな廊下を急いでいた。
今日は偶々泉君が掃除当番で、百は百で先生に呼び出されたらしい。
あの百様は実に成績優秀で、高校生の出る数学オリンピックやら、ディベート大会なぞという
そういう大儀なものに参加しないかと、しょっちゅう誘われているのだ。
今日も百を呼び出したのは数学の先生だったから、
またそれのお誘いだろうというのは想像に難くない。
そして多分毎度の如く華麗にお断りして帰ってくるのだろう。
一回くらい出てみればいいじゃん、という私の言葉に、あの神様は
『竜胆…競う程の演目ですらないもので、俺にどう競えと言うのだ?』
とか仰っていた。
競う程の演目ですらない。ってのはどういうこっちゃ…。
勿論この素晴らしい灰色の脳細胞は理解致しかねましたので、聞いてみましたとも。

『未来永劫依然として動きようも無い答えを、どう応えろと?
いいか竜胆、全ては在るがままだ。
自然を言葉にするならば、それはただのデータであり、読むだけでいいのだ!
それに俺は、人間の抱える問題を一挙に解決する方法を知っている。
知りたいか?人間には…それこそ『一生』不可能なその答えを…』

この通り全く理解できませんし、しようと思いません。
私のツルツルの脳みそじゃ分りません。
最後、やけに凄んで見せた百は何だか恐ろしいくらいに楽しげだったから、余計に。
うん。知りたくないっていうのかね。

そんなことをつらつら思い出しながら歩いていると、
うっかり図書室の前を通り過ぎるとこだった。
いかんいかん。
慌てて逆戻りしながらドアを開けると、昼間だというのに薄暗く、
ひんやりした空気が流れ込んでくる。
慣れ親しんだ本の匂いに胸を撫で下ろすと、不意に見慣れない姿が目に入ってきた。
こちらに背を向ける形で、5〜6人の女の子が、散乱した椅子や机に腰掛けて談笑している。
よくよく見れば、いつもカウンターに居る先輩の姿も無い。
…にしても、この図書室がいつもの静寂、整然、先輩のスリーSの(?)
均衡を失っているところを初めて見た気がする…。


なんてことを思っていると、ドアの音でこちらに気付いた女の子が一人、振り返った。
「…あの、図書委員の方ですか?」
この時間此処に居るなら、それしかないだろうなぁとは思いつつも聞いてみると、
マスカラをつけた睫毛をばさばさ瞬かせて、彼女が訝しげに私を見つめ返した。
「違うけど…もしかして、あんたが佐野竜胆?」
その一言で、今まで話していた女の子達も一斉に私を振り返った。
おおっと。こりゃ一体どういうことさね。
と若干後ずさる私に、女の子達の視線が突き刺さる。

うん。しかも今思い出したけど、実質此処の管理をしてるのは先輩一人なんだったよ。
他の人は先輩が怖すぎるからか、それとも面倒だからか(多分前者)、
この部屋に他の図書委員も生徒も寄り付かないんだそうだ。

と、そんなこんなを思い出している私の傍に、最初に振り返った子がつかつかと歩み寄ってくる。
「そうでしょ?あんたが、あの佐野竜胆なんでしょ?」
あの、と言われる程に有名人だったのね、なんて思いながらも、私は一つ頷いた。
「そう、だけど…何かあったの?」
何もなきゃ、知らない人から突然フルネームで呼び捨てなんてされないわな。
うーん。でも目の前のこの子といい、その他メンツといい…明らかにお怒りのご様子なんですが…。
もしかしなくても逃げた方がいいいのかな。
「何か、どころの騒ぎじゃなくない?」
怒り心頭、という様子の彼女に腕をむんずと捕まれて、
そのまま女の子達の輪の中に放り込まれる。
うん。順調によくない予感がする。冷や汗出てきたよ。
何か言うべきなのか…?
と頭を廻らせる私を、各々方はそれはもう嫌な笑みを浮かべて見ている。
そして獲物を取り囲むようにして立ち上がった彼女達は、順調に私との間合いを詰めていく。

さっき私に話しかけてきた子が、唐突に
「つーかさ、あんた男好きなんでしょ?」
うおっと。今脛蹴られたよ。
反動で床に尻餅をついた私を、女の子が取り囲む。
鈍い衝撃に顔を顰めながら、彼女達を見上げる。
「っ…、何のこと?」
怯んじゃ負けだ!と何とかまた立ち上がると、今度は背後から肩を突き飛ばされる。
「とぼけないでよ、立神君といい泉君といい…その上天海先輩?」
またしてもよろめいた私は、いよいよどうしようか、と内心頭を抱える。
いや、こうされるのって、多分泉君が言ってた通りのことなんだろう。
見事に嫉妬されてってこと。
何とかこの状況から逃げ出したいが…女の子に手をあげるのは、よくないし。
やっぱ同じ女の子といえど、こんなことしちゃう人も居るのね…。

人事のようにそんなことを思っていると、膝の裏を思いっきり蹴飛ばされた。
「ったぁ……ちょっと、だから何なの!」
痛みに膝をついた私をあざ笑うようにして、女の子が髪をかきあげた。
「あの人たちに近づかないでよ、
あんたみたいな普通の子が調子に乗って傍に居ると、迷惑なだけなの」
その言葉に続くようにして、回りの子達も騒ぎ始める。

嗚呼。哀れむは腰巾着。そして陰湿なやり方を楽しむ淑女…。
私の中で何かが動いた。

「…五月蝿いなぁ…」

床に膝をついたままぽつりと漏らした私の声が聞き取れなかったのだろう、
女の子うち一人が、私の髪を掴んで上向かせる。
「は?聞こえないんだけど?」
その手を振り払い、ちゃんと立ち上がって、彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
カラコンの入ったその瞳は、安っぽい茶色が瞬いていた。
見れば、その場にいる子達の殆どが同じような容姿だ。
茶色い髪に、短くしたスカート。マニキュアの色まで、揃って薄いピンク。
背伸びした化粧が、何だか安っぽいマネキンみたいに一定の表情を飾る。

「五月蝿いって言ったの。そう思うんなら、一人で私にそう言いに来ればいいじゃない。
寄ってたかって、誰かいないと何も出来ないの?」

言い返した私に一瞬怯むような色を見せた後、彼女達の顔つきがさっと変わる。
悔しさに歪むその顔は、何だか化粧でも隠しきれていない…獣のような顔で。
本当の化け物ってのは、百でも泉君でもなく…寧ろ同属だったのかなぁなんて、暢気に思った。

「…っあんたが五月蝿いっての!」

その瞬間、私の腹部にぼすっと何かがめり込む音と、鈍いような鋭いような痛み。
「……ぃっ…!!」
お腹を押さえて蹲った私を見てチャンスと思ったのか、
途端に背中やら頭やら、べしべしと叩かれる、蹴られる。
いや、さっきお腹蹴られた時に比べれば、この攻撃は実際それほど痛くはない…。
女の子の力だしね。
けど。まぁやっぱ多少は痛むわけで。
何やらぎゃんぎゃん騒ぎながら、手を止める気配はあんまり無いわけで。
蹲ったことで大部分を守れる姿勢をいいことに、そのまま暫し悩む。
その間も偶然なのだろうが、あばらやらわき腹やらにたまーに攻撃がヒットして、
まぁ結構痛くなってきて。
これは不味いかなぁといい加減身体を起こそうとした時だった。
そうそう。
事の結末ってのは案外早くつくもんで…


がらっ



聞きなれた音と共に、一斉に攻撃が止まる。
奇妙な静けさの中、図書室に入ってきた人物が静かにドアを閉める音が聞こえた。

そして図書室特有の柔らかい床を踏みしめる音とがゆっくり近づいてくる。
女の子達の手が止まったってことは…と思いながら少し顔をあげると、丁度その人の靴が見えた。
それからすらっとした長い足に…。
徐々に視線をあげていくと、見慣れた眼鏡。

「…此処で何をしているのです?」

私に問い掛けるように、先輩は私を見てる。
何をしてるたって…ねぇ。困って視線を彷徨わせている間、焦ったのは女の子達だ。
「あの、先輩、この子が図書室散らかしてたから…」
「そうそう、それで…」
途端におどおどしながら弁解を試みているであろう彼女達の声には、先程の覇気など微塵も無い。
多分先程自分達で散らかしていた状況のことでも指しているのだろう。
だが。

「…それで?」

「いや、だから…」

「それで?何故集団で暴力を振るうまでに発展したんですか?」

女の子達は黙り込んで、急に図書室は静かになった。
私も私で、俯くことしか出来ない。
だって、弁解してあげることも出来るけど、それって少し違うような気がする。
先輩に彼女等の罪状を訴えることも、まして違う。
私は…どうすればいいんだろう。

そしてその永遠とも取れる沈黙を破ったのは、先輩の重たい溜息。

「もう、結構。このことは先生に報告します…早く出て行きなさい」

冷たく言い放ち、先輩が私と視線を合わせるように膝を折る。
覗き込んだ其の瞳には…何の表情も浮かんではいなかった。
それに驚きつつ、先輩が差し出す手に掴まろうとしたとき、
そそくさと立ち去ろうとする女の子達の中の一人…最初に私に話しかけてきた女の子が、
何処か幼い子どものような、必死な顔で立ちすくんでいた。
最早どんな策も通じないだろうこの状況で、
まだ何か言いたそうに、握った拳をわなわなと震わせて。

「先輩、だから、その、違うんです!私は…!」

尚も食い下がる女の子には目もくれず、先輩は私の手を取り、立ち上がらせてくれた。
そしてそのまま彼女に背を向けて、いいの、と問いかけるような私の視線も無視して、
図書室に備え付けの準備室へ行こうとするのだが。
その間も女の子は頑是無い子どものように先輩を呼んでいる。
いい加減ちょっと可哀相に思って先輩のシャツを少し引っ張ってみたら、
先輩が呆れたように溜息をつきながら、やっと彼女に振り返る。



「二度とは言いません…消えなさい。彼女に何をしたのか、其の口で説明できるその日まで」



彼女は好きだったんだろうか。先輩のことが。
吐き捨てるように言われた時の彼女は、間違いなく泣いていたから。





**********************






先輩は、其の後何も言わずに前みたいにコーヒーを出してくれて、また私は砂糖をもらって、
2人で黙ってた。
ただし前回とちょっと違うのは、先輩が怖いくらいに何の表情も無いまま、
目立つ外傷に手当てしてくれてること。

あんまりに重たい沈黙で、私は多少強引に笑顔を作った。
「…先輩が来てくれてよかった〜。あのとき本当、どうしようかと思ったよ」
先輩はというと、黙って目も合わさないまま、私の左腕に出来た痣に包帯を捲いている。
「だってまさか、会議した次の日にこんなことあるなんて、思ってもみなかったしさ〜」
最後の仕上げとでもいう風に先輩が私の頬を消毒液のついた脱脂綿で軽く拭いて、
ちりっとした痛みに少し顔を顰めた私に構うことなく、絆創膏を貼る。
「…有難う御座います、先輩。流石にこの傷晒したまんまじゃ、格好悪いですからね〜」
聞いているのかいないのか、先輩が黙々と出していた救急箱に消毒液と絆創膏、
それに包帯を仕舞って、ぱちんとその箱を閉めた。
と、私は重要なことを思い出す。
「あ、でもアレですよ。絶対泉君や百には言わないで下さいね…絶対心配しちゃうから」
過保護ですよね、なんて笑う私に何の反応も返さずに、
先輩は救急箱をソファの隣に置いてあった机の中に仕舞う。

そして徐に私に正面から向き合って、またソファに座りなおしてから、
薄いレンズ越しにじっと私を見つめる。
突然のことに戸惑うが…また、私は愚かにも笑顔を作る。
「え、ちょ、先輩ったら何か酷い顔してますよ?
それとも、この一人ビューティーペアな竜胆様の顔に何かついてます?」
対して、先輩はじっと私を見据えたまま、緩く首を振る。

「いいえ…傷以外は、何も」

と、私の笑顔も凍りつく。
やっと口を利いてくれた先輩の声は、酷く無表情で…
だけど其の中には、明らかな怒りと悔しさが渦巻いて。

私は苦笑するしか出来ずに、俯いた。
しかし先輩が視線を外すことすら許さないとでも言うように、私の顎を指でつと持ち上げる。
「女ならば…顔に傷が付けられれば怒るものではないのですか?」
試すような響きを持つくせに、真剣そのものの口調で言うから私はまたも苦笑。
「…そんなにいい顔でもないし、平気だよ?」
その応えにイラついたような舌打ちをして、先輩が今度は私の腕をそっと持ち上げた。
「蹴られた所が痣になっていたら、それを見たご家族にどう説明するのですか?」
「…ん〜…転んだって言えばいいんじゃない?ほら、私おっちょこちょいだし」
二度も椅子から落ちたじゃないですか、と続けようとした私の言葉を遮り、
先輩は持ち上げた私の腕を、少し痛いくらいに掴む。

「ではその頬の傷は?この腕の傷は?背中に出来た痣は?
立神や泉もそうです、一体どう説明するのですか!?」

初めて声を荒げた先輩を見て、私は驚きに目を見開く。
先輩自身も驚いたように暫し呆然として…苦痛に耐えるように、その瞳を伏せた。

「先輩…その、ごめんなさい…でも、本当にこんなの大した傷じゃないんだよ」

いたたまれなくなって私がそう言うと、また先輩がぎっと鋭い瞳で私を睨む。
遣る瀬無さと苛立ちの混じった、その瞳で。
「謝れとは言っていない…!何故、分らない?!あなたには、分らないのか?!」
「…だって、本当に私は平気だから…」
「まだ言うか!いっそ泣けばまだいいというものを!!そんな顔で………!!!」
私の両肩を痛い程強い力で掴み、がくんと揺さぶる。
どうしていいのか分らずに、ただ成されるままで居ると唐突に先輩が力が抜けたように、
私の肩口に顔を埋めた。

驚きに身を硬くした私を、先輩の長い腕が縋りつくように伸びてくる。
そしてやっと聞き取れる程度の、今にも泣きそうな声が

「そんな顔で、笑うな…」

私よりも一回り以上大きいはずの先輩が、私の胸に縋るようにして顔をあげた。
泣いてこそいないものの、いつもの強気な瞳は酷く疲れたように伏せられて、
うつろに風景を映していた。
何となくそうすべきなのかな、と思って、私は先輩の頭をすりすりと撫でる。
だって、まるで先輩のほうが傷付いたみたいな顔してる。
…多分この場合、傷つけたのは確実に私なんだけどね。
「ごめんなさい、先輩」
今度こそ意味をかみ締めて言ったのに、先輩はさっと私から離れて振り切るように頭を振る。
「…いや、私のほうこそ、大人気なかった…怒鳴ってすまない」
そのままコーヒーでも淹れ直すつもりなのか、ヤカンをコンロに置いて火をつける。
その間もずっと私に背を向けていたが、その背中がいつもより少し小さく見えた。



と、その時、徐に立て付けの悪いドアノブが回る音と共に準備室のドアが開いた。
弾かれたように振り返り、入ってきた人物を確認すると…
「あっれぇえ〜?佐野さん、此処に居たんだ?」
あっけらかんとした表情の泉君を見て、私は慌てて笑顔で頷いた。
急激に現実に戻されたような気がして、私はなるべく傷が見えないようにと、
僅かに身を捩った。
先輩はというと、少し訝しげな表情で侵入者を見やっただけ。
「そうそう。百がねぇ、佐野さん探してたよ?
図書室に居るっていうから来てみたら…暢気に先輩といちゃついてたわけだ!」
悪い子だ〜!!と笑顔のまま泉君がぼふんとソファに押しかけてきて、
こともあろうに私のわき腹をこちょこちょ擽る。
「うわ、ちょ、ひゃああっはっはっは、い、いず、みくんやめてぇえええ!!」
ソファの上でじゃれあう私は、ふと先輩のいよいよ訝しげな視線に気付いた。
どうやらその視線は泉君に向けられているようだけれど…。
今の私はそれどころじゃあんません。
「だ、もう、だめだってば!!んも〜」
わき腹弱いの知ってるデショ!!と叫ぶ私の声に耳を塞ぐフリをして、
泉君がそ知らぬ顔で先輩の冷めたコーヒーを飲んでる。
その攻撃がやんだ隙に立ち上がり、制服のスカートをはたいて整えた。
「あ。百なら校門の前で待ってるって〜。俺今日用事あるから、先2人で帰っててねv」
悔しいけど、こればっかりはしょうがないんだよね☆と、泉君がちっとも悔しくなさそうに言う。

…何だか珍しいものを見た気がする。
いつもの泉君なら掃除当番だろうが日直だろうが、
全てボイコットしても一緒に帰ると言い出すのに…。
けどそんな軽い違和感にそれ程突っ込むこともないかと、私は鞄を持つ。
「うん、分った。…じゃ、先輩、さっきは本当に有難う御座いました。
じゃあまた明日ね〜」
じゃあね〜と返してくれる泉君を尻目に、私は準備室を出た。


と、準備室を出たところで更に不思議なことに気付く。
いつもなら百の使いっぱしりなど、泉君はしない。するわけがない。
何と言うか、あの2人は妙にそりが合わないからだ。

それに…泉君は私のこの傷を、見たはずだ。
何となく隠しておきたくてもじもじしてたけど、あんな至近距離で擽るくらいだし、
確実に頬の傷やら腕についたいくつかの痣は、見ているはずである。
…なのに、何も言わなかった。
いつもの泉君なら血相を変えて誰がやったとか言い出すのに…。

ん〜…もしかして、愛想つかされた?

それは勘弁願いたいなぁ…なんて心中でぼやきながらも、私は図書室を後にした。



******************




下駄箱で靴を出して、かがみこんで履いている時…ふっと私の上に影が差した。

反射的に顔をあげると、何と、学生姿ではない百が、堂々と私を覗き込んでいて。
「っ…ひゃ、ちょ、あんた…む、…」
こんな姿誰かに見られたらどーすんの!!と叫びそうになった私の口を片手で塞いで、
黙ってろ、と唇に指を当てて合図した。
それに慌てて従いながら、周囲を見回すが…良かった、誰もいない。
『今はお前以外に姿を見ることは出来ないようにしてある…とにかく』
言って、靴を履き終わった私の手を掴んで立ち上がらせた。
『こっちだ』
私の手首を掴んで、百は玄関を出る。
それに従いながら…私は、ちょっと、いや、確実に嫌な予感を覚えた。

以前百は、人間としての実体を持っている時は、
神通力がある程度抑制されるということを教えてくれた。
だからこの格好に戻ってるってことは…。

更に、言っていたではないか。
百はこの地域に住む人々と直接意識を繋げることが出来ると。

…つまりそれって。


はっとして思い当たった私を振り返りもせず、百は体育館の裏の方へとずんずん進んでいく。
「ちょ、百、待って!ちょっと待って!!」
手を振りほどこうとすると、逆にその力は強くなった。
その間も百は私を半ば引きずるようにどんどん進んで…体育倉庫の裏で、やっと立ち止まる。
人影は一つもなく、遠くで部活の声が微かに聞こえるだけ。
遮るもののない日差しが眩しくて、私は僅かに目を細めた。

そして徐に彼はくるりと振り返り、何だか食えない表情でまじまじと私を眺めた。
無表情にも、笑っているようにも見える表情。
「…な、何?」
居心地悪くてもじもじする私を思う存分無言で眺めた後、彼はすっと私に手を伸ばした。
其の手の行く先は…私の頬に出来た傷の上。
彼が触れると、先輩が貼ってくれた絆創膏がひらりと音もなく落ちた。
驚きに目を瞠る私にお構いなく、百はその傷に指を這わせる。

「これは、何だ?竜胆」

静かな、何処か恍惚としたような声。
今まで聞いたことのない、声。
「…っこれは…その…さっき、転んで…別に、何でもないから平気だけど!」
撫でる様にして傷に触れていた百の唇が、怖いくらい綺麗に、にいいと吊りあがる。
何となく、傷に触れて欲しくなくて…この妙な緊張感に耐えられなくて、
私は逃れるように一歩下がった。
その間合いを詰めるように、百もまた一歩踏み出す。
そしてまた、腕を伸ばす。
だが、今度はそれが私に届く前に、私はじりじりと後ずさる。
「竜胆…」
その様子を見ていた百が、笑みを深める。
さっき女の子達に取り囲まれた時とは比べようもない、圧迫感。
それに気付いているのかいないのか、百は迷うことなく間合いを詰める。

「百…どうしたの?本当に、なんでもないんだよ…?」

無理に笑顔を作るけど、足はがくがくと震える。こんなに暖かいのに。

百は、さっきあったことを知っているんだと確信した。
そしてそれに関して、あまりいい感情を持っていないことも。

そしてこの緩慢な鬼ごっこは、唐突に私の背が壁に触れたことで終わりを告げた。
完璧に間合いを詰めて、吐息がかかるほど近くに来た百は、長すぎる犬歯を見せて笑う。
その表情に怖気づいて、咄嗟に身を翻そうとした私の退路を塞ぐように、
百が顔の両脇にゆっくり腕をついた。

「なぁ竜胆…この腕はどうした?」

彼が目を伏せて、さっき先輩が巻いてくれた包帯の場所を見やれば…またそれが解ける。
咄嗟に言葉が紡げない私をはっと嗤いながら、深く俯く。

「なぁ竜胆…」

もったいぶるように首を巡らせ、彼はふと私の制服のシャツの襟をなでるように…
愛撫でもするみたいに持ち上げた。
「…な、なに?百、何するの?」
震えた声の私を俯いたまま上目遣いに見やって、肩を揺らしながら声もなく笑う。
その途端、彼の手はシャツの解禁部分を掴み、そのまま布が裂ける程の力で引き下ろした。
鈍い音の後、ぱらぱらとボタンが散って、シャツの前がはだける。

見慣れたミントブルーのブラジャーが見えて、かっと頬に血が昇った。
けれど何より…もう隠しようがない蹴られたときの痣が、
その存在を主張するように赤黒く鬱血して。
思ったとおり、わき腹にも星みたいに小さく散らばる痣が。

咄嗟に前を掻き合わせようとした私よりも早く、百がその痣に触れた。
胸の下、丁度胃の上にあたる部分に、体温の無い、けれど冷たくも無い手が添えられる。
恍惚としたような瞳が僅かに見開かれて、口だけが笑みの形を作ったまま、
ゆっくり息を吐き出す。

「…や、やめてよ!本当に何でもないんだからっ!!」

百の手を振り払って、慌てて前を掻き合わせる。
疲れてもいないのに、叫んだだけで息がきれる。
頭の中が滅茶苦茶で、もう何と言い訳しようか考えることすら出来ない。
何が何でもないのかも解らないまま、ただ傷を隠したくて。
…ただ何かが怖くて。

荒い息を吐く私を見下ろして、さっきの先輩みたいに百がそっと私の両肩に手を置いた。
そして、顔を逸らす私にずいっとその顔を近づける。

「なぁ竜胆、どうして欲しい?」

そのあまりに優しく、低く、耳に心地よい声は口説くみたいに囁く。
「え…?」
何が、と未だ呆然としたまま顔をあげれば、普段の漆黒を失い、
金色に透き通る瞳が緩やかに弧を描いて。
瞳孔が猫のように細く細く伸びているのが、ピントが合わない程間近で見えた。

「お前を傷つけた者共を、どうして欲しい?
生きたまま臓物を蟲に食わせるか?それとも手足から徐々に腐らせようか?」

うっとりしたように、まるで唄うように…言いながら、
百が私の頬を両の掌でくるむように撫でる。
恐怖のためなのか、驚きのためなのか…言葉が喉で止まり呼吸すら忘れて見入る私に、
神は無垢に微笑んで見せた。

「なぁ、体内から植物に侵食されるあやつらを、見たくないか?
細胞を壊され、朽ち果てるまで苦しむあやつらを、見たくないか?」

ふと、妙な違和感を感じて百の背後を見てみれば、めきめきと鈍い音を立てて、
その背中から植物の蔦が絡み、所々骨がむき出しの…緑の翼が生えて。
「…ぁ……あ……」
ただ無意味な音が喉から零れ、震えが体中に行き渡る。
その間にも、まるでそれ自体が成長するかのように伸びて、
窮屈そうだった翼が柔らかく広がる。

「俺はお前が虐げられるのを視ていて…解ったのさ」

最早独り言のように呟く百を見れば、その髪も犬歯も形を変え、私の肩を掴む手から腕まで、
彼のキメ細かい白の肌を突き破り、透けるような緑が群れる。

「お前を虐げてもいいのは…俺だけだ。
愛も苦痛も…神である俺が与えるものしか、受け取ってはならないとな…」

声をあげて低く笑った百は、凍ったように身動きが取れなくなった私の顎を持ち上げて、
殊更ゆっくり……唇を重ねた。
ちゅ、とその場にそぐわない音を立てて離れた唇は、そのまま頬にも口づけを落とす。
背後では大きな翼が羽ばたく音が聞こえるのに、
不思議と百の声や気配だけは痛いくらいに感じ取れた。


「愛している…俺はお前の神だ、お前だけのものだ…」


愛している、という言葉にこんな時でも過剰に反応しながら、
私は最早何を考える余裕もなしに、百を見上げた。
だが彼は嫣然と微笑むのみで、私の答えなど最初から聞くつもりは無いようだった。

「お前を傷つけるモノなど、俺が消してやろう。
お前が微笑むならば…この世界さえ壊してやろう」

子どもをあやすようにいいながら、百がふっとその指先を私に額に当てた。


そこで突然私の記憶は、途切れた。






残ったのは大きく羽ばたく翼の音と、笑った神様。











*******************








いつものように下駄箱を開けて、上履きを取り出す。
特別ラブレターや嫌がらせのカッターの刃が入っているわけでもないそれは、
今日もすっぽり私の足にミラクルフィット。
「あ、佐藤、さん…おはよ」
多分、いや確実に名前は合ってるはずだ。
だって今彼女が下駄箱から出した上履きには、「さとう」と大きく書いてあったから。
黒目がちな大きな瞳を一瞬驚きに見開いた後、彼女はにっこり私に笑いかけてくれた。
「あ、竜胆ちゃん、おはよ〜」

長い髪をなびかせて教室に向かう彼女の後姿をぼ〜っと眺めてたら、
突然背後からばふ、という音と音に軽い衝撃が。
「もう、朝から何すんのよ…」
大して痛くもなかったが頭を押さえて後ろを振り返れば、ファイル片手ににやけている百様が。
「…いや、朝からそんな呆けた顔をしているのが面白くて、つい、な」
そこはかとなく満足げに肩を竦めて、含み笑いを零した。
勿論、朝だからってこの夜の帝王は黙ってませんとも。
「だって、今の子初めて話しかけたのに、スゲー好意的だったからさ。
嬉しいなぁと思って…いっつもむさい男と戯れてるのも、目によくないでしょ?」
ん、と僅かに顔を顰めた百を見て内心ガッツポーズをキメた瞬間…

「っしゃっしゃ………な、っのおおおおおお!!」

私の腰に途方も無い衝撃が。
こう、どんっ!!とかいうのではなく、どがんっ!!に近い。
盛大によろけながらも腰を見やれば、真っ白な腕が巻きついてるじゃござんせんか。

「酷いよ佐野さん!!俺のことむさいって、そう思ってたの?ねぇそうなの?!」

涙を浮かべ、僅かに興奮したように頬を上記させ…まるで縋るように見つめてくる様は、
さながらマッチ売りの少女。
うん。あれだよ。一夜と言わずに君の一生をを買わせてk(自主規制)

「ま、まさかデショ!どして私が泉君のことむさいとか言うの?!
寧ろ比較されたら、よりむさいのは私の方だよ?!」

無意識に演説するが如く熱弁をふるう私を見て、泉君はそれはそれは…
地上に降りた最後の天使〜♪な笑顔を見せてくれた。(元ネタ古…)
どうやらゴキゲンは素晴らしく右肩上がりのようだ。安心安心。

そんなこんなしてる内に教室についてドアを開ければ、いつものように疎らな人影。
各々何やら話していて、朝の教室特有の喧騒がそこにあった。
窓側の一番後ろの席。
私の席は今日も朝の涼しげな陽射しを浴びて、鈍い金色に光を弾いていて。
いつも通りに腰掛けると、泉君が私の机に腰掛けて、
百もすっかり定位置になった私の隣に腰を下ろした。

昨日見たテレビの話でぎゃんぎゃん盛り上がっている私と泉君の会話がふっと一瞬途切れた時、
それまで黙って見ていた百が何か思い出したように言った。

「そういえば、竜胆…お前昨日出された課題は、終わらせたのか?」

あ。

グッジョブ神様。すっかり忘れてた。
そうそう。泉君との愛のあるお話も楽しいんだけど、課題は流石にやんなきゃだ。
「やばい!忘れてた!!ひー、ちょっと手伝ってもらっちゃダメ?」
「いいよいいよ〜♪って、俺の回答が合ってればの話だけど」
言いながら鞄を取り出す泉君が…ふ、とその動きを止める。
じわじわと表情が失われて、ついには何か考え込むような無表情に変わる。
訝しく思って顔を覗き込んで手を振ってみても…反応が無い。
「どしたよ泉君?いーずーみーくーん?」
「ん?…あ、いや…別に…なんでもないよ…」
やっと私に気付いた泉君が、慌てたように笑顔を貼り付ける。
それも何処か取り繕ったような様子で。

そのときふと、課題を広げていた百が喉で低く笑う。
「…やっと気付いたか」
小ばかにしたように泉君に言いながら、百が楽しくて仕方ないように肩を揺らす。
対して、泉君といえば何処か緊張したように顔を引き攣らせて、慌てたように周囲を見渡した。
「…まさか、あいつらは…」
呆然として半ば独り言のように呟いて何かを探しているようだが…
目当てのものはなかったのか、少し俯いた。
「…??ねね、2人して何の話してんの?」
百を小突いてみるが、さぁな、という気の無い返事しか返ってこなかった。
「…竜胆、お前は一生解らずとも良いのさ」

「ふぅん…?変なの〜…って、此処痣になってんじゃん、何時怪我したんだろ?」

ふと腕に何かあるのに気付いて見てみれば、本当に小さな小さな痣。
消える寸前みたいに、もう大分薄くなってる。
「お前のことだ、また気付かぬうちに何処かぶつけたのではないか?
それよりも…俺のものだというのに、勝手に傷をつくるとは」
いい度胸だな。
からかうようにトンデモないことを仰って、真っ赤になって硬直した私に構わず、
百はその痣に手を伸ばす。
ひやりとしているのに、不思議と冷たくは無いその温度に驚いて、慌てて腕を引っ込めた。
「のわっ!!ととと、突然触んないで下さいませコノヤロウ!!」
「馬鹿め、そのように驚く奴があるか。折角この俺が直々に治療してやろうと」
「いーです!!いーですからっ!!何かあんたがそういうこと言うと本当にやりそうで怖い!!」
ケアルみたいな効果が起きたら、もう私は吃驚して死ぬよ。
いやいやマジよ。マジ。
それまでずっと黙っていた泉君が、何か納得しかねるように…けどまた復活したのか何なのか、
「まぁいいか。俺ってば、佐野さんが笑っててくれりゃ、何でもいいからさ〜」
私に言っているのかと思いきや、百に言っているようだ。
百も百で、珍しく泉君に同意を示すように頷いている。

結局其の後も2人してコソコソ何か喋っていたようだけど…
残念ながら、この出来のいい頭は全然わかりませんでした。
大体話にも混ぜてもらえなかったし…拗ねるぞヲイ。
私に関係してることは確かなのに、全然話が見えなかった。

兎にも角にも、今日も私は脳みそツルツルです。










終わり








あとがき。

うおあ〜。
スゲー半端な終わり方…。
うーん。文才がほしいっす。

今回のテーマは『百様大回転』でした(笑)
優しい綺麗な御顔で、人間の頭かち割って血でベトベトの手で竜胆を…
てな展開も考えてたんですが、この話の流れだったら
いっそR指定にしたいなぁと思ったのでボツでした。

このシリーズでR指定は…どうなんだろうなぁ。
書いてみたいけど、絶対エグい感じにしてしまいそうだ。
相手が相手だしね。
ナチュラルな、別にグロとかの意味じゃない、普通のエロなR指定…
愛のあるエロ…。愛なエロ…。愛のある裸エプロン…。
……何を言ってるんだ私は。

とにかくベッドインしたら最後、百様は確実に優しい鬼畜になりそうです。
寧ろそうすると思う(笑)
別に血を見るベッドシーンが好きなわけじゃなく、血を見ない程度に、
精神的にいたぶる感じが好きです。

もう一個の『夢より〜』は確実にぬるぅくR指定にする予定なんですが、
未だそこまで到達してないし…。
ああ。エロ書きたい。ああいうのは書いてて楽しいからなぁ…。
確実に裏をいつか…いつか…!!



2007.8,11 駁

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